絵夢

梅雨が終わって毎日猛暑が続いていた時、エル絵夢に風呂場でシャワーを浴びせていた。
絵夢はシャワーは嫌いではないが、タオルで拭かれるのを嫌がる。
ある日、体を拭いていた時唸りながらぐるぐる回っていたら、足を滑らせてしまった。
キャンッ!と鳴いてそれから後ろ足をかばう様子だったので、捻挫でもしたかも…と気をつけてみていた。
今まで大好きだったソファにも上らず、食卓にも上らない。
勢いよくぐるぐる回ることもなくなっていたので、病院へ連れて行こうと考えていたが、ダイスケで苦い経験をしているのでもう少し様子見をすることした。
ダイスケが散歩の途中からびっこを引き始めたので、病院へ連れていくと先生の前では真っ直ぐ歩き「どこも痛めてないようですね」と言われた。
先生がいうには、びっこを引いた時に飼い主さんが心配したり甘やかしたりすると、痛くなくなってからも気を引くために同じ行動をすることがあると言われたのだ。
絵夢が転んだ時、私が悪かったと思い大袈裟に騒いでしまった。
ベランダに出ると、少しの段差を前に「ワタシ、上れません」とダッコされるのを待っているし、車に乗る時も「ダッコです…」と自分で上ろうとしない。
でももう痛くないのは分かった。
ベランダから入らない時は、ジャーキーの入れ物をカシャカシャいわせると入ってくるし、風呂場で遊んだあとも、「出られません…」とキュンキュンないて人を呼びつけていたのに、これもジャーキーの入れ物でぴょんと飛び出るのを確認した。
ぐるぐる回る速度も声も復活してきて一安心。
なのになのに!
絵夢がパソコンの椅子の下で寝ている時、椅子の足がいきなり2本ぽきんと折れ、座っていた夫がズリズリと滑り落ちたのだ。
絵夢の上には落ちていないが、絵夢のショックは大きかったようで、せっかく元気が出てきていたのに、また「借りてきたパグ」に逆戻り。
絵夢は椅子が壊れたとは思わず、「お父さんが降ってきた」と思ったようだ。
それ以来、毎日くっついて寝ていた夫の側には近付こうとしないどころか、呼んでも行かなくなってしまった。
絵夢は可愛い子で、呼べば必ず来る子だったのに。
夫のショックも大きく、「絵夢おいで」と手招きして後ずさりされ、がっくり肩を落としていた。
それが先日「永遠」に会い、永遠の匂いがする衣類を絵夢に思い存分嗅がせたところ、ハイパー絵夢が復活してきた。
ソファに飛び乗ったのだ。
う~~~ん…。
嬉しいけれど、ソファには乗らない方がいいんだけどな…。
夫が呼ぶとまだ逃げる時もあるけど、夜中は側で寝るようになった。
もうすぐお盆。
恒例のキャンプに行くのだが、GWには他ラティスを飛び越えて隣のサイトに侵入した絵夢。
完全復活するのは、キャンプから帰ってからにしてくれい。

というわけで、めでたしめでたし。
涼しくなったら、ちょこっと大人しくなった絵夢に会ってやってくださいね。

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 3:31 PM  コメント (8)

7月

長い間日記を更新しませんでした。
7月、怒涛のような一ヵ月でした。
少し落着いたら、日記が書きたくなってseed君にお願いしました。
昔のようにパスワード付けられない?って。
これから少しずつ、激動の7月について書いていきますね。

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 8:45 PM  コメント (4)

あちゃ・・・

6月2日のことだった。
絵夢の4歳のお誕生会は20日にする予定だったので、誕生日は何もしないつもりだった。
でも友達が「絵夢ちゃんおめでとう♪」とプレゼントを持ってきてくれたので、わたしが何もしないわけにはいかないとプリンを一つ買ってきた。
それにロウソクを4本立て、雰囲気だけお誕生日を演出したのだが、画像を見てショック。
立てた飾りが、「HAPPY BIRTHDAY」ではなく、「MERRY CHRISTMAS」だったのだ。
残念…。
でも絵夢が英語読めない子でよかったよ。

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 4:41 PM  コメント (7)

損した? 得した?

今年の誕生日は日曜だった。
夫が「たまには外でご飯食べようか。お前は飲んでいいから」と珍しいことを言った。
外食嫌いの夫が、自分から言い出したのは多分結婚して2回目。
誕生日の外食は初めて。
「で、幾つになるの?」というので、「58!」ときっぱり答えた。
暫く黙っていた夫が、「57じゃないの?」という。
「今57なんだから、58になるのよ」と内心(歳もわからんのか…)とがっかりだった。
「違うよ。オレが今年61になったんだから、お前は57になるんじゃないか?」とまだ言っている。
わたしはこの1年、いろんな申込書やアンケートに「57歳」と書いてきた。
(な~にを言っておるのだ)と半分眠かったので、聞き流していたが、翌朝起きて「まっさん版おもしろ便利手帳」を見たら、昭和28年は今年57歳になると書いてあった。
まさしさんの手帳が間違っているはずはないから、わたしは今年57歳になるんだ…。
なんだか57歳を名乗った一年を返して欲しいような気がした。
それを夫に言ったら、「それって得したんじゃない?」という。
そうなのかなぁ…。

で、昨日は朝からサービス満点♪
エル絵夢の散歩に行く時、「カメラ忘れたでしょ?」と持って来てくれた。
実は置いてきたのだが(誕生日だから散歩じゃなくても画像はいっぱい撮れると思ったからね)、「ありがとう♪」と首から下げた。
このカメラのおかげで、紫陽花が撮れた。
まだ少し早いけど、初々しい紫陽花もなかなかいいもの。
散歩から帰ったら、昼食がてら買い物。
今日はお風呂の網戸を作ってもらうため、ホームセンターに木を買いに行った。
大規模修繕で汚くなった網戸を捨てたのだが、ないと不便。
お風呂の窓はいつも開けておきたいからね。
エイデンで、ブルーレイの「BD-RE」(何度も書き込めるヤツね)を10枚と、プリンターのインクを買ってもらった。
これがわたしのリクエストした「プレゼント」。
お昼はおいしいお蕎麦屋さんで「ぶっかけ」をご馳走になった。
冷たい蕎麦だが「ころ」とは違い、自分でたれと薬味をぶっかけ、最後はちゃんと「そば湯」も出てきて、美味しかった~。
その時、ニュースで東北地方で震度5というニュースを見た。
久し振りに大きな地震だ。
家に帰って、夫は網戸の作成。
夕食までお腹を空かせなければならないので、ちょっとお昼寝。
目が覚めたら網戸は完成していたが、(え~?)という感じ。
でも口にしたら、次に作る時機嫌よくやってくれないので、気になるところだけ直してもらって「いいじゃん!」と窓にはめてもらった。
ま、見えないところだからいいでしょ。
テレビで女子ゴルフの番組を見て、いよいよ食事に。

ワタクシ的には、池下の炭火焼きのお店なんかいいなぁと思った(そこならバスで行って帰りはタクシーですぐだから、一緒に飲めるし)が、なにしろつい最近行ったばかり。
夫が行こうと決めたのは、「浜木綿」という中華のお店だった。
二人でコースを頼んでもつまらないので、食べたいものを頼もうということになった。
コース料理って、食べたくないものが絶対に2品はあるのよね。
注文したのは、「生春巻き」「唐揚げ」「えび団子」「小籠包」「回鍋肉」「あんかけ葱ラーメン」「蟹とふわ湯葉のあんかけ鉄鍋飯」。
残念ながら完食できず、唐揚げはお持ち帰りに。
食事をしながら、「ラーメン」と「蕎麦」を除いて、二人で「外食しようと決めて外食した」のは何年前か…という話をした。
名古屋では覚えがない。
市川にいる時、一度だけ夫が六本木に連れて行ってくれた。
お洒落なビアハウス(トレンディードラマのロケ地だった)で飲んでから、焼き鳥やさんに行った。
でもそれは誕生日や結婚記念日ではない。
だから夫が「誕生日だから外食を」と言ったのは、初めて。
夫の外食嫌いは義父譲り。
義父は夫よりも外食が嫌いだった。
外食だけではなく旅行も嫌いで、連れ出すのが至難の業だったのが懐かしい。
わたしも嫌いな人を外へ連れ出すより、「外食したつもり」でちょっと豪華な食材で家で食べる方が好きだし、なにより家ならゆっくり飲める。
帰らなくていいからね。
外で食べるのは、友達と行けばいいと思えば、なにも頑張って夫を連れ出すことはないのだ。

浜木綿から帰ったら、「ケーキタイム!」
近所に出来たケーキ屋さんがビンゴだったので、そこで買ってきた。
帰ってきたらローソクがついてない。
「1」と「0」のローソクを購入したので、お店の人はそれを使うと思ったのかもしれない。
ま、いいけどね。
家にあった「音が出るローソク」を1本立てて、「ハッピーバースデイ」を歌おうと思ったが、無理ッ!
ケーキを見たエル絵夢が狂う狂う。
そそくさとケーキを切り、わたしは白ワインを。
夫はコーヒーで誕生日を締めくくりました。
損したような得したような57歳。
留年するって、こんな気分かな。
ワタクシ、今年は正真正銘の57歳を送らせていただきます。
新しい1年、毎日を丁寧に生きていこうと気持ちを新たにしました。

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 11:18 AM  コメント (11)

蛍が見たくなった。
エル絵夢が散歩をする緑地公園では、「せせらぎ公園」の川で蛍を保護している。
「見たい」と夫に言ったら、「区役所に電話して、蛍が出てるかどうか訊いてみたら?」という。
公園の駐車場は夜は閉門される。
路上駐車になるが、「せせらぎ公園」は道のすぐ下だから、多分見られると思う。
でも一応区役所に電話をした。
出ない!
何回かけても出ない。
「今日は休みか?」と思ったが、平日の水曜日。
子供手当ての支給が間近だから、きっと忙しいのね。
そこで「守山区緑地公園蛍」で検索したら、6月2日に10匹確認という記事があった。
出てるじゃん!
夫にメール。
「じゃあ銭湯からの帰りに寄ってみよう」ということになった。
わたしは「懐中電灯」と、「眼鏡」、夜景モードにしたカメラを準備。
蛍を見にいく気、満々♪
銭湯へ向かう途中、緑地公園から出てくる車と入る車が多かった。
「先に寄ってみようか」という夫の判断。
この判断がよかったのですね。
一週間だけ駐車場は9時まで開放、「蛍保存会」のボランティアさんが、説明をしたり横断歩道を安全に渡らせてくれているのだ。
「せせらぎ公園」に下りてビックリ。
想像以上に蛍が光っている!
人の数も多かったけどね。
なんでもテレビで放送されたとか。
蛍の光る速度は「ゆらぎ」。
桜が散る速度と同じなのだ。
子どもの頃は、蛍など珍しくもなんともなかった。
家の前の小川に「いるのが当たり前」だったから。
名古屋へ来てからは見なくなった。
子供達が小さい頃、蛍を養殖しているという観光地へ行った。
川が蛍で埋め尽くされている、「天の川」。
これはあんまりいただけなかったなぁ。
蛍って、一匹や二匹では寂しいけど、何十万もいて欲しくないよね。
その時は、蛍が息子達に付いて来て、部屋の中でも光っていた。
でも朝には死んでいるのが分かっていたから、みんなで頑張って窓から追い出した。
人間は「畳の上で死にたい」が、蛍はツユクサの上で死ぬのがいい。
緑地公園の蛍は、保護をしているだけあって数も多いし、人を喜ばせる方法を知っているのか、近くに寄ってきて髪に止まりそうになったりする。
私達は人の多い川上を避け、川下で楽しんだ。
蛍って、案外高く飛ぶのだ。
「見上げる蛍」は初めて。
昔まさしさんが蛍の話をしていた。
辰野という町で、蛍を放す会があり、それに呼ばれていったとか。
町長さんの挨拶のあと、箱にぎっしり入った蛍を、蓋をあけたらふわふわと夜空に舞い上がる予定だったのに、蛍は舞い上がらず困った係りの方が箱をひっくり返したら、光の塊が「ドサッ!」と地面に落ちた…という話だった。
緑地公園の蛍は自由に飛んでいた。
長い眠りから覚め、短い時を生きていた。
画像は撮れなかったが、記憶には残った。
見にいってよかったなぁ。

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 6:14 AM  コメント (8)

キラキラ号!

先週の土曜日、寒梅さんが飲みに来た!
16時30分着のきらきら号で。
その日の23時30分発のキラキラ号で帰るから、名古屋にいられる時間は7時間。
動物園に行ったり、ノリタケの森に行くには足りない時間だが、飲むだけならたっぷり!
16時30分に名古屋駅にお迎えに行き、地下鉄で今池へ。
立ち飲み屋で日本酒を一杯ずつ注文し、「じゃ~ね~」と池下へ向かった。
この立ち飲み屋さん、注文と同時に前払いなので、たった一杯でも「じゃ~ね~」が出来るのだ。
池下まではタクシーで。
なにしろ「予約時間厳守」のお店だからね。
そのお店は全室個室。
まだ開店して間もないから、お客さんは少なかった。
というより、2組。
私達は一番奥の広い部屋を用意してもらって、ラッキー♪
今回は自分で焼ける「炭火焼」なので、自分のペースでゆっくり楽しんだ。
サービスのサラダ、すでに焼き始められていた魚やきりたんぽ、手羽先。
最初の飲み物は「空」。
4号瓶がないのかと訊ねたら、「空」だけなかった。
それでは今回はワインをということで、赤のキャンティーをボトルで注文。
お肉はお刺身が極ウマ!
とろ~りとろけて、なくなってしまいました。
タンも、名古屋コーチンも美味しかった~。
タラバやサザエ、車えびと焼き、「きしめん入り鯛鍋」で締めて、デザートはアイスクリーム。
満足満足!
でもまだキラキラ号には早いので、タクシーで「いちい」へ。
土曜日だからか、10時だというのにもう看板をしまい始めていた。
「大丈夫ですよ~」と入れてもらったが、従業員さん達の「まかない」の時間。
こちらもお腹いっぱいで、飲むほうも「ご馳走様」状態。
でも久し振りだったので、大将やお姉さんと会えて楽しかった。
次回は、「いちい」でお腹を作ってからのコースを考えよう。
「いちい」から名古屋駅まではあっという間。
トイレを済ませて、バスの中で飲むお茶を買い、乗車手続きを済ませて噴水で時間を待った。
キラキラ号だけでなく、他に数社の深夜バスの受付があり、凄い人だった。
わたしも昔は深夜バスで熊本へ通ったものだ。
バスの旅はいい。
寒梅さんも、きっと座席に座ったらすぐに夢の中だろう。
ろさとぱんちに寂しい思いをさせる時間が少なくて、寒梅さんは運転の心配がなく思い切り飲めるのだ。
しかしなんという贅沢な「飲み会」。
寒梅さんは回数券を購入したそうだから、すぐにまた「飲み会」が計画できる。
なんだか埼玉が「岡崎」の隣にでもあるような気がしてきた。
キラキラ号、バンザイッ!です。

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 2:53 PM  コメント (2)

金の斧 銀の斧


きこりが森の沼に、大事な斧を落とした。
嘆き悲しんでいると、沼から女神様が出てきて、「お前が失くしたのは、この金の斧ですか?銀の斧ですか?」と訊ねる。
正直なきこりは、「ただの鉄の斧です」と答えると、女神様からその正直さを誉められ、金の斧も銀の斧も貰った…という童話がある。
エルを見ていると、この子も金の斧を貰うタイプだなぁと思う。
我が家のトイレご褒美は、「チッコは一律フード一粒、エルのウンチはフード一粒、絵夢のウンチはジャーキー」となっている。
ご存知絵夢がウンチをトイレでしてくれなかったため、ご褒美をグレードアップしたからだ。
勿論今でも北の部屋にウンチがあることもある。
それはトイレが汚れていて、ウンチをする面積がなかった場合が多い(そうでない場合もあるけどね)。
概ねワタクシが在宅中にウンチ・チッコを済ませてくれる子達だが(でないと、ご褒美もらえないからね)、イレギュラーに留守中にしてある場合もある。
チッコの場合は問題はない。
問題はウンチ。
同じフードを同じ量食べているので、どっちのウンチか区別がつかない。
「これ、どっちがしたの?」と訊ねると、エルはフードを置いてある流しの下にやってきてお座りするのだ。
かわいいじゃないですか!
で、感激して、「いい子ね~」と女神様よろしくジャーキーをあげてしまう。
でももしかして、これエルの作戦かも…。

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 12:58 PM  コメント (2)

あへ?

絵夢が4歳になった。
ちょっと信じられない。
4歳ということは、4年前に生れたということで、そんなに年月が流れたのか…と感慨無量。
絵夢をだっこする時は、「わたしの赤ちゃん」と言いながら抱いているので、わたしの中ではいつまでも「生れたばかり」なのだ。
近所の田んぼに水が入り、田植えが始った。
4年前、苗が生長する緑と絵夢の成長を重ねてみていたのが、つい昨日のような気がする。
家に来てからは、仕事先から転ぶようにして家に帰った。
ケージの中で「あへ顔」をしている絵夢を見ると、食べたくなるほど可愛かった。
4歳になっても、この「あへ顔」は変わらない。
8歳になっても12歳になっても、「あへ顔」が健在でありますように。
ダイスケもエルも「あへ顔」はしなかったなぁ。
相変らず、うんちは目の前にある食器棚やゴミ箱をガリガリしながらだし、リードを見ると発狂する。
尻尾を触るとガウガウ唸りながらぐるぐる回るし、左足を攻撃してくる。
散歩の時は道の左端を好んで歩き、水がなくなると器をカリカリして催促する。
猫が天敵で、人に体をくっつけるのが大好き。
寝る時は、おなかの上。
振り払っても振り払っても、貞子のように這いあがってくる。
ソファに座っても座椅子に座っても、パソコンの前に座っても、もれなく絵夢がついてくる。

4歳はとても素晴らしい1年になるはず。
子供の表情と、大人になる気配が入り混じった1年。
来年5歳になった時、「絵夢がすっかり落着いてしまってねぇ。寂しいわ」と是非とも言いたいッ!
絵夢、お願いだから言わせてね。

お誕生日、おめでとう♪
うちの子になってくれて、ありがとう♪
楽しい4歳にしようね。

のんの、永遠、ぐりちゃん、玄米、小小ちゃん
みんな揃って4歳になれたね。
おめでとう!
小次郎、あずきちゃん
素晴らしい子供達を、ありがとう。
涼しくなったら、またみんなで会えますように。
そして「ウチの子自慢」に花を咲かせましょうね。

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 9:20 AM  コメント (8)

最強

只今大規模修繕中のアパート。
窓を開けてはいけない日と、洗濯物を干してはいけない日はちゃんと事前にお知らせがあるのだが、ベランダの作業などは突然で、レースのカーテン越しに職人さんが動いていたりすることがある。
でも案外エル絵夢は大丈夫なのだ。
慣れたのかな?
最初の頃は、中庭に人影が見えただけでもワンワンギャンギャン大騒ぎだった。
ベランダに人が入って物音をさせていても平気な顔で寝ているから、玄関から来る人も大丈夫かと思ったが、そうは問屋が卸さない。
今まで以上に、大騒ぎ&バトルでお出迎えをするようになった。
ベランダの作業する人に吠えられないストレスをぶつけているかのような激しさ。
昨日は何かのセールスの人が来たのだが、エル絵夢のバトルを見て「また来ます」とドアを閉めてしまった。
いったい何のセールスだったんだろう…。
犬が苦手な人なんだろうが、このご時世犬を飼ってる世帯は多いはず。
仕事は選んだ方がいいと思うな。
大規模修繕のお陰で、エル絵夢は最強の「セールスお断り」コンビに成長しています。

画像は中央道から見た駒ヶ根

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 9:26 AM  コメント (4)

まさしんぐWORLD2010

今回のWORLDOは、去年亡くなったまさしさんのお父様を「偲ぶ会」。
国技館の年越しコンサートの時には、お姿が見えないけれどどこかにいらっしゃるはずだと思いながら楽しんだのに、その時には亡くなっていたなんて。
ワタクシ、今回50分も遅刻をしてしまいました。
仕事の日は店に着替えを持って行き、更衣室で着替えた後、車は翌日まで駐車場に置かせてもらい、小幡の駅まで歩き(5分)大曽根まで瀬戸線で。
地下鉄に乗り換えれば、センチュリーでも市民会館でも6時までにはいけます。
今店長のお父さんが入院をされていて、睡眠不足で大変な時なので、能天気に「コンサートに行くので車置かせてください」と言えなかった。
一度家に帰り、エル絵夢にご飯を食べさせ、食べさせればウンチやオシッコをするので後片付けをし、着替えてバスで市役所へ。
そこで地下鉄に乗り換えて日比野まで行った。
会場に入ると、「もうすぐ休憩ですが、お入りになりますか?」と聞かれた。
ここは潔く休憩を待つことに。
グッズ売り場で本を一冊購入。
休憩になり、ドアが開いて人がロビーに出てくるのを掻き分けながら席を探した。
9列、23番。
こんなに遅刻をしたことがないので、hanamamaさんが電話をしてくれているところだった。
今回は通常のコンサートではないため、まさしさんの「座長挨拶」のあとは、チキンガーリックステーキと玲子さんのステージ。
チキガリはともかく、玲子さんの歌は聴きたかった。
席について、hanamamaさんからお貸ししていた本を返していただいたりプレゼントをいただいたり。
いよいよまさしさんのステージです!
オープニングは「案山子」。
中学2年の時、お父様の「戦友会」に一緒に津和野に行った時に見た風景が、「案山子」の風景だとか。
続いて「惜春」。
これはお父様がお好きだったという曲。
初めて知りました。
地味な曲ですが、まさしさんの名曲です。

優しさゆえに傷ついて
優しさゆえに傷つけて
君は振り返る弱さもなく
僕は引き止める強さもなく
ただ立ちつくせば背中合わせに
穏やかに落ちてゆく二人

なんてまあ、草食系なんでしょう…と思われるかもしれませんが、まさしさんの考え方の原点が歌われています。
「愛しすぎるのは愛さないのと同じ」というフレーズがあるのですが、根底にあるのは「アンビバレンス」。
相反する二つの思いを歌で表現した「惜春」がお好きだったお父様はAB型。
なんだか納得してしまいました。

トークは勿論全てお父様絡み。
島原の「盲目の詩人」宮崎康平さんとのお付き合いから生れた「邪馬台」。
その前に、宮崎さん作詞の「島原の子守唄」を。
以前長崎のまさしさんのご実家に遊びに行ったことがあるが、そのお家は宮崎さんのご尽力で建てられた家だと話していた。
今はそこを引き払い新しいマンションに移られたが、まさしさんが小学校時代をすごし、体を壊して東京から逃げ帰り、グレープとしてデビューするまでを知っている「実家」。
ステージトークで、その家の話が出る度、思い出すのは二階へ登る螺旋階段と不思議なシステムのトイレのことだ。
水を流す方法が分からず、二階にいる友人を声を出して呼ぶのも憚られ困っていた。
お母様はさすがに、「すずきさん、水の流し方がわからんとやろ。Kちゃん、みてきてあげんね」と友人をトイレに差し向けてくれたのだ。
彼女も最初は戸惑ったとか。
高台にあるそのお家は、最初まさしさんのお家だけだったので、夜景が見事だったのだとか。
そのうち全ての区画に家が建ち、夜景は見えなくなった。
「墓 坂 ばか」の長崎の町。
車が玄関に付けられないその家は、細い石段を登るしかなかったから、お母様のお体では長崎に帰ってもそこで過ごされるのは厳しかったと思う。
今は快適なペントハウスの便利なマンション暮らし。
わたしがお父様に最後にお目にかかったのは、そのマンションにお邪魔した時だった。
今からもう6年も前になる。
お母様がご自分のお部屋で横になっておられたので、私と友人はお母様の横でオヤツを頂いたりおしゃべりをして時間を過ごしてしまい、飛行機の時間で慌てておいとまをしたのだが、その時お父様がいらっしゃるのに初めて気がつき「こんにちは。おじゃましました。さようなら」とマンションを出てしまったのだ。
リビングの椅子に座り、「やあ」と手を挙げて応えてくださった笑顔が最後のお顔。
友人と、お父様がいらっしゃるならお花だけじゃなく甘いものを探してくるんだったわね…と反省して帰ったのだ。
お父様は会社の代表をされているので、お母様がお帰りになっていてもご一緒にお家にいらっしゃるのは珍しいことだから。

そのお父様が保証人のハンコを押して、事業に失敗した時の「転宅」。
羽振りがよかった頃の幼少時代に、大邸宅からいきなりの長屋暮らしをしなかればならなかった時を歌った曲だ。
おばあちゃんのわが子に言った言葉、「負けたままじゃないだろう」は、きっとまさしさんが「長江」で莫大な借金を背負った時にも、背中を押してくれたと思う。
その長屋での「薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク」。
お父様の思い出は、そのままご家族の思い出。
昔のステージトークや、エッセイに書かれていたエピソードが走馬灯のように思い出された。
その後は新しいアルバムから二曲。
そして「戦友会」「銀杏散りやまず」ではぐしゃぐしゃになってしまった。
「精霊流し」は今年の夏、まさしさんが出すお父様の「精霊船」。
生前に「長崎中の芸者を集めて船の前を歩いてもらう」と話していたように、まさしさんがその夢を叶えてあげそうな気がする。
そして最後は「生生流転」。
戦後、中国人として中国で生きたかもしれないお父様が「製作」された映画、「長江」の主題歌だ。
まさしさんの歌は渾身だった。
こんなにも美しく辛い「生生流転」は聴いたことがない。
もともとコンサートではあまり聴けない歌なのだ。
お父様に向けて、最高のはなむけだったと思う。
アンコールは「風に立つライオン」。
お父様が出会わせてくれた最高の友人だとか。
まさしさんも歌いきり、私達も聴き切ったコンサートだった。
わたしはいつも曲目と一緒に、MCのメモを取るのだが、今回はメモは取れなかった。
双眼鏡も持って行っていたが、一度も覗けなかった。
こんな風に、全身で聴いたコンサートは、初めて行ったまさしさんのコンサート以来かもしれない。
友人はご家族に近しく、お父様にも娘のように可愛がられていたから、数え切れない思い出がある。
コンサート中に、膝のバッグの中で携帯が震えた。
彼女からだというのは分かった。
hanamamaさんとコンサート終了後のビールを飲んでいる時、メールを開いた。
彼女は東京でのコンサートに行っていたので、その時の感想を送ってくれたのだ。
2月の「偲ぶ会」にも会社から招待されてニューオータニでお別れをしていたから、なおさらコンサートは心に染みたと思う。
まさしさん流の、ユーモアと暖かさに包まれた「偲ぶコンサート」だったが、もう誰の「偲ぶコンサート」もして欲しくないと思った。
笑いながら泣きながら聴いたコンサートは、時間を経るごとに深く大きくな感動が押し寄せてくる。
自分の祖父母や父を思い、ダイスケやナナコちゃんを思った。

「人って、死んでも生きてるんだよ。それが分かった。その人のことを覚えてる人の中で『生きてる』からね」

その後まさしさんはこう言った。
「だから若いファンを増やそうと思うんだ。それが一番長生き出来る方法だからね。若い人を連れて来るように!」だって。

次のコンサートは7月。
新しいアルバムの「予感」のツアー。
先日松坂屋で開催された「さだまさし展」でいっぱい本やCDを購入してきたから、暫くはさだまさし三昧。
友人と「やっぱり私達の『元気の素』はまさしさんよね」と話した。
もし「パグ」と「まさしさん」とどっちか一つにしなさいと夫に言われたら、迷うことなく夫を捨てます。

カテゴリー: ダイスケとエルとエムの日記 — daisuke 9:53 AM  コメント (9)